お金儲けの神様、邱永漢さんの本を読んで、お金儲けの基本を学びましょう。 その本は、時代を問わず、お金の本質を突いています。

「野心家の時間割」邱 永漢、PHP研究所

野心家の時間割―人生の勝者となるために
邱 永漢
PHP研究所 (1987/09)
おすすめ度の平均: 4
4 読んだ後は自分次第

(私の評価:★★★★☆)


●時間という切り口で人生というものを考える秀逸な一冊です。15年前の本とは思えない内容には邱永漢氏の時代を見る目のすごさを感じます。

●それに、邱永漢氏の本を読んでいると、「中金持ちを目指そう」「時間持ちを目指そう」など、他の作家がネタにしたような考え方があったりして、面白いですよ。


■この本で私が共感したところは次のとおりです。


・出世するならまず三分間スピーチだ!(p30)
<今日、会社でスピーチ仲間を作ります。>


・ベストセラーズは読まない。ベストセラーズを読むくらいならロングセラーズをよむ。またなるべく自分の知らない分野について書かれた本を読む。知らない著者の本も買う。(p102)
<色々な知らない情報を集めるということですね>


・お金は大事にする人のところに集まってくる。だから、大事にすればするほどお金は増えてくる。ところが、時間は大事にする人ほど残りが少なくなっている。というより時間をふんだんに持っている間は時間の値打ちがわからないから、時間を大事にしない。それが持ち時間がなくなるに従って、時間の有難さがわかってくるから、時間を大事にするようになるのである。だからそのこと自体が時間切れの近づいていることを意味している。(p115)
<若い人は時間があってもお金なし、年寄りはお金があっても時間なし、ということでしょうか>


・お金のある人は、お金そのものが人をこき使う性質を持っているので、よほど気をつけないと、いつの間にかお金にこき使われて一生を台無しにしてしまう。(p118)
<お金は必要不可欠ですが、こき使われないように気をつけましょう>


・私が観察していると、多忙をきわめている人で、「忙しい忙しい」と愚痴をこぼす人は滅多にいない。ヒマな人はたまに用事があるとそれが頭にひっかかって「忙しい」とつい思い込んでしまうが、忙しいスケジュールの人は過密スケジュールが当たり前だから、ちょっとでもヒマができると、ヒマな時間をうまく利用しようとする。だから時間のない人ほど時間のつくり方が上手になる。(p121)
<確かにヒマな人ほど「忙しいカンベンして」と言いますね>

野心家の時間割」邱 永漢、PHP研究所(1987/09)¥470
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(評価:★★★★☆)

【邱永漢さん】
1924年台湾生まれ。本名は邱炳南。

10人兄弟の長男。父邱清海は台湾人実業家。母堤八重は久留米生まれの日本人である。 13歳のとき台北高校尋常科に入学し、このころから自ら詩を書き、個人雑誌『月来香』を発行している。台北高校の同窓に李登輝がいた。

1942年に来日。1943年東京大学経済学部入学。 1944年、邱の友人の冗談を真に受けた憲兵隊によりスパイ容疑で逮捕されたが一週間で釈放。

このころ、経済学部の定期試験で満州国の統制経済について問われ、日本の満州支配を経済学的に批判したところ、 不穏思想の持ち主として退学処分になりかけた。 1945年に東京大学経済学部を卒業後、東京大学大学院で財政学を研究。

1946年に大学院を中退して台湾に戻り、土建会社経営、中学の英語教師、銀行のシンクタンク研究員を経験。砂糖の密輸に手を出して逮捕されたこともある。

1948年に台湾独立運動に関係して中国国民党政府から逮捕状が出たため香港へ亡命。このとき、物資欠乏の日本に郵便小包で商品を送る事業を始めて成功を収めた。 香港で高級マンションに住まい、運転手つきの自家用車を乗り回す身分となった。このころ、友人の窮状を題材に処女作「密入国者の手記」を執筆、この作品が山岡荘八や村上元三から激賞され、「大衆文芸」誌で作家デビュー。

やがて事業が傾いたのを機に、娘の病気の治療と文学修行を兼ねて1954年より日本に移住。1954年『濁水渓』を現代社から上梓、直木賞候補となる。 1955年に小説『香港』で第34回直木賞を受賞。外国人として最初の直木賞受賞者である。

当時、金銭について語ることがタブーだった日本において、『金銭読本』『投資家読本』など蓄財に関する実用的評論を発表して好評を博した。 1960年頃には200万円の元手で株を始めて1年で5000万円に増やしたこともある。 「邱永漢が薦める株は必ず上がる」と噂された。

1971年には、台湾の政情変化を受けて国民党と和解。台湾政府に乞われ、経済建設を支援すべく台湾に帰って国家事業を指導。やがて事業が不振になったので再び日本に移住。 第一次石油危機では大損害を蒙り、胃を壊して入院したことがある。

1980年、家族と共に日本国籍を取得。その直後に参議院全国区選挙に無所属で立候補したが15万票しか取れず下位落選。 1998年の香港返還を目前に、香港に移住。中国に移り、雲南省でコーヒー栽培事業を営んでいる。

実業家としてはドライクリーニング業・砂利採取業・ビル経営・毛生え薬の販売など多方面に活躍。東京には邱永漢経営の中国語教室も存在する。 日本におけるビジネスホテル経営の元祖でもある。

大の食通としても有名。夫人の潘苑蘭は広東生まれの中国人で料理研究家。実の姉の臼田素娥も料理研究家。 素娥の娘の臼田幸世も料理研究家でNHKの「きょうの料理」などテレビの料理番組に出演。娘の邱世嬪(きゅう さいぱん、1952-)は占星術研究家でエッセイスト。 息子の邱世悦は不動産会社を経営している。