お金儲けの神様、邱永漢さんの本を読んで、お金儲けの基本を学びましょう。 その本は、時代を問わず、お金の本質を突いています。

「一番悪い時が一番のチャンス」邱 永漢、三笠書房

一番悪い時が一番のチャンス
邱 永漢
ごま書房 (1998/02)
売り上げランキング: 558,811


(私の評価:★★★☆☆)


●人によって「物の見方」は異なります。私は、より大きな「物の見方」を
 する人がより偉いのだと考えています。


 ・とりわけ成長経済の最中にあった日本と台湾で、同じように株価と
  地価の上昇につき合ったので、「投資は発展途上国で、生産は通貨
  の弱い国で」という原則にたどり着きました。(p193)


●つまり、自分の経験からより大きな見方をして、高い視点からの
 教訓を得ていく人が偉いということです。


 ・今は景気の変動は世界的なスケール、地球的な規模になってきました。
  (p73)


●仕事や商売で苦労していれば、小さな成功、失敗があるでしょう。その
 ような小事も大切ですが、より大きな流れも意識してみると、その流れ
 が見えてくる人がいるようです。


 ・成長株は発展途上国にあるもので、日本のような成熟化社会には滅多
  に見当たらないものです。(p169)


●現実を直視し、大きな流れを考えてみる。こういうことのできる人
 になってみたいものです。


 ・「同じ柳の下にドジョウは三匹いる」と言いますが、三匹目は取り逃が
  すことはあっても、二匹目は必ず取れます。東急が大企業になったこと
  がこのことを証明しています。(p112)


●この本では、邱 永漢先生の大きな「世の中の見方」を知ることができ
 ますので、そういう大きい「本の見方」でこの本を読まれるといいのでは
 ないでしょうか。


■この本で私が共感したところは次のとおりです。


 ・私はこれまで多くの経営者の方にお会いしてきましたが、成功者に
  数えられる人は揃いも揃ってせっかちです。(p135)


 ・アジアでこうした引き抜きを防ぐには、「この人と一緒にいることが
  自分にとってはいちばん得だ」ということを相手に理解させる以外に
  ありません。(p146)


一番悪い時が一番のチャンス」邱 永漢、三笠書房(1999/10)¥560
(評価:★★★☆☆)
(詳細)→ http://tinyurl.com/4n9xy

【邱永漢さん】
1924年台湾生まれ。本名は邱炳南。

10人兄弟の長男。父邱清海は台湾人実業家。母堤八重は久留米生まれの日本人である。 13歳のとき台北高校尋常科に入学し、このころから自ら詩を書き、個人雑誌『月来香』を発行している。台北高校の同窓に李登輝がいた。

1942年に来日。1943年東京大学経済学部入学。 1944年、邱の友人の冗談を真に受けた憲兵隊によりスパイ容疑で逮捕されたが一週間で釈放。

このころ、経済学部の定期試験で満州国の統制経済について問われ、日本の満州支配を経済学的に批判したところ、 不穏思想の持ち主として退学処分になりかけた。 1945年に東京大学経済学部を卒業後、東京大学大学院で財政学を研究。

1946年に大学院を中退して台湾に戻り、土建会社経営、中学の英語教師、銀行のシンクタンク研究員を経験。砂糖の密輸に手を出して逮捕されたこともある。

1948年に台湾独立運動に関係して中国国民党政府から逮捕状が出たため香港へ亡命。このとき、物資欠乏の日本に郵便小包で商品を送る事業を始めて成功を収めた。 香港で高級マンションに住まい、運転手つきの自家用車を乗り回す身分となった。このころ、友人の窮状を題材に処女作「密入国者の手記」を執筆、この作品が山岡荘八や村上元三から激賞され、「大衆文芸」誌で作家デビュー。

やがて事業が傾いたのを機に、娘の病気の治療と文学修行を兼ねて1954年より日本に移住。1954年『濁水渓』を現代社から上梓、直木賞候補となる。 1955年に小説『香港』で第34回直木賞を受賞。外国人として最初の直木賞受賞者である。

当時、金銭について語ることがタブーだった日本において、『金銭読本』『投資家読本』など蓄財に関する実用的評論を発表して好評を博した。 1960年頃には200万円の元手で株を始めて1年で5000万円に増やしたこともある。 「邱永漢が薦める株は必ず上がる」と噂された。

1971年には、台湾の政情変化を受けて国民党と和解。台湾政府に乞われ、経済建設を支援すべく台湾に帰って国家事業を指導。やがて事業が不振になったので再び日本に移住。 第一次石油危機では大損害を蒙り、胃を壊して入院したことがある。

1980年、家族と共に日本国籍を取得。その直後に参議院全国区選挙に無所属で立候補したが15万票しか取れず下位落選。 1998年の香港返還を目前に、香港に移住。中国に移り、雲南省でコーヒー栽培事業を営んでいる。

実業家としてはドライクリーニング業・砂利採取業・ビル経営・毛生え薬の販売など多方面に活躍。東京には邱永漢経営の中国語教室も存在する。 日本におけるビジネスホテル経営の元祖でもある。

大の食通としても有名。夫人の潘苑蘭は広東生まれの中国人で料理研究家。実の姉の臼田素娥も料理研究家。 素娥の娘の臼田幸世も料理研究家でNHKの「きょうの料理」などテレビの料理番組に出演。娘の邱世嬪(きゅう さいぱん、1952-)は占星術研究家でエッセイスト。 息子の邱世悦は不動産会社を経営している。