お金儲けの神様、邱永漢さんの本を読んで、お金儲けの基本を学びましょう。 その本は、時代を問わず、お金の本質を突いています。

「社長学入門」邱永漢、日本経済新聞社(1982/01)

社長学入門
社長学入門
posted with amazlet on 06.04.06
邱 永漢
日本経済新聞社 (1982/01)

(評価:★★☆☆☆:時間とお金に余裕があればぜひ)もしあなたが社長なら★★★★☆:買いましょう。素晴らしい本です。


●サラリーマンと社長では、考える基準が違うのだなーと妙に納得する本でした。私の父は家族で商売をしていましたので共感できる点が多いのですが、サラリーマンには無用のことも社長は考えなくてはなりません。

●重役はどうする、組合と付き合う、株主への姿勢、銀行とのつきあい、新聞記者・・・社長ならその苦労を身にしみているはずです。ふるい本ですが、考え方の基本として社長にはお勧めします。でも入手は難しいはずです。


■この本で私が共感したところは次のとおりです。


・書かれたものは過去の教訓であり、目の前に展開されている事実の中にこれから生きていくための教科書がある(p15)


・自分がお世話になった人とか、自分が恩を受けた人に対して、末永くおつきあいを願うということである。(p18)
<人間としての基本なのでしょうね>


・首のすげかえは社長が真っ先である。しかし、もし社長が自分の首をすげかえられたくなかったら、ふだんから重役の首をすげかえることを躊躇しないことである。(p40)
<そういえば、日産は役員に1億円以上の報酬を支払っていますが、国内販売低迷でコミットメント未達の役員が一発で退任させられています。報酬もすごいですが、厳しさも相応なものですね。>


・マスコミの暴力 ― というコトバがあるが、筆の力には恐るべきものがある。・・・書くほうは意識していないが、書かれたほうは企業の存在を脅かされるほどの目にあわされることがある。・・・マスコミとのつきあいでは低姿勢にこしたことはない、ということがおわかりになるであろう。(p96)
<マスコミが会社を潰すこともあるのですね>


・ライバルのおかげで敵愾心を新たにし、緊張感の漲った生活を送れるようになることは疑いない。この意味で、同業者の後姿には掌を合わせるべきだと私は思っている。彼らのおかげで、私たちは生きていることの実感を味わっているからである。
<ライバルがいないと、緊張感がない会社になってしまいます>


・ワンマン社長というものは自分の部下の意見など聞かないものなのである。部下の意見通りにやっていたのでは、部下よりも傑出するわけではないし、部下が全員賛成するようなことをやってはいけないという私の「成功の法則」にも反する行為になる。(p157)
<レベルが上がると、ワンマンで自分の信念を持ちながらも、部下の話を「ふむ、ふむ」と聞いてあげるようになるようです。でも、決断は自分で行います。>


・「先を見る眼」は、天才的な企業家には例外なく備わっているが、どういう具合にしてそうした眼を養ったかという点になると、人によって流儀が違う。・・・しかし、総じてどんな流儀の人であっても、共通していることがある。それはよく本を読むことであろう。(p166)
<本を読んでも失敗する人はいますが、本を読まずに成功する人がいるとは思えません>



「社長学入門」
邱永漢、日本経済新聞社(1982/01)¥1,020
(評価:★★☆☆☆:時間とお金に余裕があればぜひ)もしあなたが社長なら★★★★☆:買いましょう。素晴らしい本です。

【邱永漢さん】
1924年台湾生まれ。本名は邱炳南。

10人兄弟の長男。父邱清海は台湾人実業家。母堤八重は久留米生まれの日本人である。 13歳のとき台北高校尋常科に入学し、このころから自ら詩を書き、個人雑誌『月来香』を発行している。台北高校の同窓に李登輝がいた。

1942年に来日。1943年東京大学経済学部入学。 1944年、邱の友人の冗談を真に受けた憲兵隊によりスパイ容疑で逮捕されたが一週間で釈放。

このころ、経済学部の定期試験で満州国の統制経済について問われ、日本の満州支配を経済学的に批判したところ、 不穏思想の持ち主として退学処分になりかけた。 1945年に東京大学経済学部を卒業後、東京大学大学院で財政学を研究。

1946年に大学院を中退して台湾に戻り、土建会社経営、中学の英語教師、銀行のシンクタンク研究員を経験。砂糖の密輸に手を出して逮捕されたこともある。

1948年に台湾独立運動に関係して中国国民党政府から逮捕状が出たため香港へ亡命。このとき、物資欠乏の日本に郵便小包で商品を送る事業を始めて成功を収めた。 香港で高級マンションに住まい、運転手つきの自家用車を乗り回す身分となった。このころ、友人の窮状を題材に処女作「密入国者の手記」を執筆、この作品が山岡荘八や村上元三から激賞され、「大衆文芸」誌で作家デビュー。

やがて事業が傾いたのを機に、娘の病気の治療と文学修行を兼ねて1954年より日本に移住。1954年『濁水渓』を現代社から上梓、直木賞候補となる。 1955年に小説『香港』で第34回直木賞を受賞。外国人として最初の直木賞受賞者である。

当時、金銭について語ることがタブーだった日本において、『金銭読本』『投資家読本』など蓄財に関する実用的評論を発表して好評を博した。 1960年頃には200万円の元手で株を始めて1年で5000万円に増やしたこともある。 「邱永漢が薦める株は必ず上がる」と噂された。

1971年には、台湾の政情変化を受けて国民党と和解。台湾政府に乞われ、経済建設を支援すべく台湾に帰って国家事業を指導。やがて事業が不振になったので再び日本に移住。 第一次石油危機では大損害を蒙り、胃を壊して入院したことがある。

1980年、家族と共に日本国籍を取得。その直後に参議院全国区選挙に無所属で立候補したが15万票しか取れず下位落選。 1998年の香港返還を目前に、香港に移住。中国に移り、雲南省でコーヒー栽培事業を営んでいる。

実業家としてはドライクリーニング業・砂利採取業・ビル経営・毛生え薬の販売など多方面に活躍。東京には邱永漢経営の中国語教室も存在する。 日本におけるビジネスホテル経営の元祖でもある。

大の食通としても有名。夫人の潘苑蘭は広東生まれの中国人で料理研究家。実の姉の臼田素娥も料理研究家。 素娥の娘の臼田幸世も料理研究家でNHKの「きょうの料理」などテレビの料理番組に出演。娘の邱世嬪(きゅう さいぱん、1952-)は占星術研究家でエッセイスト。 息子の邱世悦は不動産会社を経営している。