お金儲けの神様、邱永漢さんの本を読んで、お金儲けの基本を学びましょう。 その本は、時代を問わず、お金の本質を突いています。

中国がクシャミをしたら―世界の工場から巨大消費市場へ |邱 永漢

中国がクシャミをしたら―世界の工場から巨大消費市場へ
邱 永漢
廣済堂出版 (2005/01)
売り上げランキング: 158,614

(私の評価:★★★☆☆:社会人として読むべき一冊です)

●著者紹介・・・邱 永漢(一日一冊の殿堂入り作家・実業家)

 1924年生まれ。東京大学経済学部卒業。台湾より香港へ亡命し、
 直木賞受賞作家となる。その後、株の神様、お金の神様といわれながら、
 事業活動を行い、現在も年間120回飛行機に乗って、東京、台北、上海
 を飛び回る。著作は約400冊にのぼる。


●製造業においては、アジアで生産し日本で販売するだけではなく、日本で
 生産しアジアで販売するというのが普通になってきました。必然的に
 中国に行く日本人が増えています。


●この本は、そうした中国に行く日本人が、中国人と付き合ううえでの予備
 知識を得るために最適な一冊だと思います。

 ・最初のうちはきちんきちんと支払いをします。すっかり信用を得て、取引
  高もふくれあがったところで突然、支払いがとどこおりはじめます。・・
  ・銀行からも取引停止を食らいます。もうその頃には代理店の老板(旦那)
  は姿をくらましてしまいます。・・・こんな目にあうことは中国ではよく
  あることです。(p45)


●実は、ダイキン、ユニクロ、東芝など中国で業績を上げている会社は、
 こういう中国の実態を学び、対策をとっているのです。たとえば、ダイキン
 は、高級ブランド戦略、完全前払いなどお金の完全回収のために工夫を
 しています。


●逆にいうと、中国を知らなければ失敗の可能性が高まるわけで、これから中国
 に関係する仕事をしようとしている人には必読の書でしょう。

 ・どうして日本人スタッフが必要かというと、中国人の中で生活すれば
  すぐにわかります。・・・日本人のスタッフにたのんでおいたことは
  翌日、ちゃんとやってくれたかなと心配する必要がないのです。(p21)


●この本は邱 永漢さんのホームページ「ハイハイQさんQさんデス」の
 「もしもしQさんQさんよ」の内容をまとめたものです。ですから、
 こちらで無料で読むことができます。

「ハイハイQさんQさんデス」→ http://www.9393.co.jp/


■この本で私が共感したところは次のとおりです。


 ・私自身、この三十年あまり思い立ったら世界中どこにでも旅行に
  出かけました。・・・旅行というものはやれる時にやるもので、
  お金が残っていても時間がなくなってしまうものです。(p67)


 ・一口で言えば、膨大な人口を抱える中国、続いてインドの工業化が進み、
  人口二十億をこえる地域で生活のレベルが上がったら、資源不足(食料を
  含む)が人類最大の問題になるだろうということです。(p135)


 ・「治にいて乱を忘れる勿(なか)れ」と言いますが、本当はふだんからこの
  ままで大丈夫かなと反省する必要があります。私の場合は、銀行からお金を
  借りてビルを建てた場合、万一、約束通りお金が返せなくなったら自分の家
  も売り払わなければならないと覚悟を決めて、ビルの一角に自分たちの家族
  が住めるようにトイレの隣にシャワーの準備までしました。(p215)


「中国がクシャミをしたら」邱 永漢 、広済堂出版(2005/01)¥1,470
(私の評価:★★★☆☆:社会人として読むべき一冊です)


読んでいただきありがとうございました!

【邱永漢さん】
1924年台湾生まれ。本名は邱炳南。

10人兄弟の長男。父邱清海は台湾人実業家。母堤八重は久留米生まれの日本人である。 13歳のとき台北高校尋常科に入学し、このころから自ら詩を書き、個人雑誌『月来香』を発行している。台北高校の同窓に李登輝がいた。

1942年に来日。1943年東京大学経済学部入学。 1944年、邱の友人の冗談を真に受けた憲兵隊によりスパイ容疑で逮捕されたが一週間で釈放。

このころ、経済学部の定期試験で満州国の統制経済について問われ、日本の満州支配を経済学的に批判したところ、 不穏思想の持ち主として退学処分になりかけた。 1945年に東京大学経済学部を卒業後、東京大学大学院で財政学を研究。

1946年に大学院を中退して台湾に戻り、土建会社経営、中学の英語教師、銀行のシンクタンク研究員を経験。砂糖の密輸に手を出して逮捕されたこともある。

1948年に台湾独立運動に関係して中国国民党政府から逮捕状が出たため香港へ亡命。このとき、物資欠乏の日本に郵便小包で商品を送る事業を始めて成功を収めた。 香港で高級マンションに住まい、運転手つきの自家用車を乗り回す身分となった。このころ、友人の窮状を題材に処女作「密入国者の手記」を執筆、この作品が山岡荘八や村上元三から激賞され、「大衆文芸」誌で作家デビュー。

やがて事業が傾いたのを機に、娘の病気の治療と文学修行を兼ねて1954年より日本に移住。1954年『濁水渓』を現代社から上梓、直木賞候補となる。 1955年に小説『香港』で第34回直木賞を受賞。外国人として最初の直木賞受賞者である。

当時、金銭について語ることがタブーだった日本において、『金銭読本』『投資家読本』など蓄財に関する実用的評論を発表して好評を博した。 1960年頃には200万円の元手で株を始めて1年で5000万円に増やしたこともある。 「邱永漢が薦める株は必ず上がる」と噂された。

1971年には、台湾の政情変化を受けて国民党と和解。台湾政府に乞われ、経済建設を支援すべく台湾に帰って国家事業を指導。やがて事業が不振になったので再び日本に移住。 第一次石油危機では大損害を蒙り、胃を壊して入院したことがある。

1980年、家族と共に日本国籍を取得。その直後に参議院全国区選挙に無所属で立候補したが15万票しか取れず下位落選。 1998年の香港返還を目前に、香港に移住。中国に移り、雲南省でコーヒー栽培事業を営んでいる。

実業家としてはドライクリーニング業・砂利採取業・ビル経営・毛生え薬の販売など多方面に活躍。東京には邱永漢経営の中国語教室も存在する。 日本におけるビジネスホテル経営の元祖でもある。

大の食通としても有名。夫人の潘苑蘭は広東生まれの中国人で料理研究家。実の姉の臼田素娥も料理研究家。 素娥の娘の臼田幸世も料理研究家でNHKの「きょうの料理」などテレビの料理番組に出演。娘の邱世嬪(きゅう さいぱん、1952-)は占星術研究家でエッセイスト。 息子の邱世悦は不動産会社を経営している。