お金儲けの神様、邱永漢さんの本を読んで、お金儲けの基本を学びましょう。
    

「お金をちゃんと考えることから逃げまわっていたぼくらへ」邱 永漢,糸井 重里 PHP研究所(2001/03)¥1,365

お金をちゃんと考えることから逃げまわっていたぼくらへ
邱 永漢 糸井 重里
PHP研究所 (2001/03/12)
おすすめ度の平均: 4.08
5 お金は引き寄せるものなんです
4 人生をよりよく生きるって
5 「お金」ということだけない本です
(評価:★★★★☆)


●お金をテーマにした糸井重里さんと邱永漢さんの対談です。


●糸井重里さんはライターでありその分野では色々な経験をされて
 いるのでしょうが、邱永漢さんのように色々な国で色々な商売をやって
 いる人と比べると、どうしても格の違いが目に付きました。


●子どもとの付き合い方ということを一つ取ってみても、そこには、
 天と地ほどの差があります。

 ・例えば、うちの息子がアメリカに留学に行くときに・・・サラリーマン
  をやっている親は、毎月仕送りをしますよね。・・・でも私は、一年分
  のお金をあげましたよ。(p27)

 ・子どものむだづかいをおそれて・・・お金であげるのではなく親の判断で
  ものを買ってあげるというのは、たぶん、いちばんいけないことだと思い
  ます。・・・自分で判断させて、何でも経験させないといけない、という
  か・・・(p36)


●邱永漢さんの母親の教えも興味深いものです。一般のサラリーマンのような
 給料日だから・・・という考え方とは違います。「きょうは給料日だから、
 ご馳走よ」などといった日には「俺は毎日働いているんだ!給料日だから
 といって変えないでね!」という感じでしょうか。

 ・「人間は、懐にお金がいくら入っているか、わかるような生活をするな」
  と、子どものときから母親にいわれて育ちましたもんね。・・・月給を
  もらった途端に大酒を飲むような財布の底まで見える生活をするなと
  よくいわれました。(p102)


●人生においてお金との付き合いは避けられません。お金とは何なのか、
 お金で何をするのか、お金さえあればいいのか、など色々考えるために
 絶好の書だと思います。

 ・十七億円の株を持ちながら死んだ人もいるし、どんなに持っていても、
  死ぬまで使わなかったら、持っていなかったのと同じだと思いません
  か。(p214)


●この本の著者は邱永漢さんと糸井重里さんとなっていますが、あまりに知恵の
 格差がありすぎて、糸井重里さんを著者とするのは失礼ではないかと思いまし
 た。ちなみに引用はすべて邱永漢さんのものです。


●邱永漢さんのお金の知恵に目からウロコということで★4つとしました。


■この本で私が共感したところは次のとおりです。


 ・女の子には、あんまり不自由させるとダメなんです。・・・東南アジアの
  金持ちの華僑がいるでしょう?そういう家の息子が嫁さんもらうとき、お金
  に不自由しなかったうちからきたお嫁さんは、欲張らないからいい、と
  いうんです。(p30)


 ・お金が汚いという考え方は、中国人にはないんですよ。・・・日本だけ
  割合に、お金を汚いと感じるのではないでしょうか。(p39)


 ・今日も本読んでたら、「株の公開をするほど落ちぶれてはいない」とある
  ドイツ人がいったという一節を読みました。「上場するというのは、会社
  の身売りをすることだから」。ぼくも・・・自分のしていることについて
  いちいち人に釈明するのがイヤなんですね。(p54)


 ・自分にとって面白い仕事は何かを発見することが第一ですね。ただ二十歳
  やそこらで発見できるわけがないのだから、いろんな経験を積む必要が
  ありますね。(p71)


 ・昔の文献からいい言葉を探すというのは、私は今でもやっていますよ。・・・
  中国の成語辞典を最初から最後まで読み直しまして、いい言葉を探しますもの
  ね。・・・それをぜんぶ書き留めておきますし、・・・それを読むための時間
  も大切にしていますよ。(p158)


 ・ぼくは、仕事をするときに、先入観のある人を使わないんです。絶対に
  素人でやろうというところがありまして。・・・素人だったら、玄人の
  人と競争して勝つためには工夫をしなければならないから、結果として
  それが勝ちにつながるんだと思います。(p160)


「お金をちゃんと考えることから逃げまわっていたぼくらへ」邱 永漢,糸井 重里
PHP研究所(2001/03)¥1,365
(評価:★★★★☆)


読んでいただきありがとうございました!

     

【邱永漢さんの生涯】
1924年台湾生まれ。本名は邱炳南。

10人兄弟の長男。父邱清海は台湾人実業家。母堤八重は久留米生まれの日本人である。 13歳のとき台北高校尋常科に入学し、このころから自ら詩を書き、個人雑誌『月来香』を発行している。台北高校の同窓に李登輝がいた。

1942年に来日。1943年東京大学経済学部入学。 1944年、邱の友人の冗談を真に受けた憲兵隊によりスパイ容疑で逮捕されたが一週間で釈放。

このころ、経済学部の定期試験で満州国の統制経済について問われ、日本の満州支配を経済学的に批判したところ、 不穏思想の持ち主として退学処分になりかけた。 1945年に東京大学経済学部を卒業後、東京大学大学院で財政学を研究。

1946年に大学院を中退して台湾に戻り、土建会社経営、中学の英語教師、銀行のシンクタンク研究員を経験。砂糖の密輸に手を出して逮捕されたこともある。

1948年に台湾独立運動に関係して中国国民党政府から逮捕状が出たため香港へ亡命。このとき、物資欠乏の日本に郵便小包で商品を送る事業を始めて成功を収めた。 香港で高級マンションに住まい、運転手つきの自家用車を乗り回す身分となった。このころ、友人の窮状を題材に処女作「密入国者の手記」を執筆、この作品が山岡荘八や村上元三から激賞され、「大衆文芸」誌で作家デビュー。

やがて事業が傾いたのを機に、娘の病気の治療と文学修行を兼ねて1954年より日本に移住。1954年『濁水渓』を現代社から上梓、直木賞候補となる。 1955年に小説『香港』で第34回直木賞を受賞。外国人として最初の直木賞受賞者である。

当時、金銭について語ることがタブーだった日本において、『金銭読本』『投資家読本』など蓄財に関する実用的評論を発表して好評を博した。 1960年頃には200万円の元手で株を始めて1年で5000万円に増やしたこともある。 「邱永漢が薦める株は必ず上がる」と噂された。

1971年には、台湾の政情変化を受けて国民党と和解。台湾政府に乞われ、経済建設を支援すべく台湾に帰って国家事業を指導。やがて事業が不振になったので再び日本に移住。 第一次石油危機では大損害を蒙り、胃を壊して入院したことがある。

1980年、家族と共に日本国籍を取得。その直後に参議院全国区選挙に無所属で立候補したが15万票しか取れず下位落選。 1998年の香港返還を目前に、香港に移住。中国に移り、雲南省でコーヒー栽培事業を営んでいる。

実業家としてはドライクリーニング業・砂利採取業・ビル経営・毛生え薬の販売など多方面に活躍。東京には邱永漢経営の中国語教室も存在する。 日本におけるビジネスホテル経営の元祖でもある。

大の食通としても有名。夫人の潘苑蘭は広東生まれの中国人で料理研究家。実の姉の臼田素娥も料理研究家。 素娥の娘の臼田幸世も料理研究家でNHKの「きょうの料理」などテレビの料理番組に出演。娘の邱世嬪(きゅう さいぱん、1952-)は占星術研究家でエッセイスト。 息子の邱世悦は不動産会社を経営している。